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大学時代、御茶ノ水にご縁がありました。当時は「やらなければならないこと・必要なこと」をやったという記憶がなく、考えたいことを考え、読みたい本を読み、好きなだけ友人らと語り明かし、時には喧嘩をし、勝手に悩んで眠れない夜を過ごすという、今思えば夢のような生活でした。それはそれでけっこうしんどかったわけですが。卒業後もこの地を訪れることがありますが、やはり学生の頃を懐かしんでいるようなおじさん達が、デイパックを背負ってウロウロしているのをよく見かけます。きっと良い学生時代を過ごされた方々に違いない、などと思いながら。素敵な動画をありがとうございました。感謝。
戦前の貴重なモダン建築である山の上ホテル、なんとか維持できますように。
お父様の足跡をこうして辿るのは素敵ですね。父が見てきた景色を見ることができたらと考えることは自分もあります。わが父は映像も写真も何も残さない人なので、どこへ行ったらいいのかすら分かりませんけどね。
昭和7年に建てられた新駅舎も、今あっても違和感無いモダンな建物ですね。
いつも貴重な映像ありがとうございます。探索お疲れさまでした😊
このお茶の水駅付近は通ってた学校もあり、神田の本屋街では三省堂でよく本を買いましたね。その頃(1987年)とはエラい変わり様ですね😮 お茶の水駅の改良増築の完成が待ち遠しいです😃
亡くなられたお父様が撮り溜めた多くのビデオ映像は、本来、ご本人やご家族が見返すだけのものだったのかもしれませんが、息子さんがRUclipsの配信者となったことで、多くの視聴者の目に触れることとなりました。しかも、息子さんは息子さんでAI技術を採り入れた動画作りに邁進中。映像制作の趣味は、血筋なんですね。これからも新着動画を楽しみにしています。
素晴らしい血筋が世間の役に立っていますね😊
御茶ノ水私にとっては駿台予備校の街でした。ごはん屋さんも懐かしいです。カロリー。今でもあるようです。それから中華丼のおいしい店がありました(味一番)。それに穂高といったかな?喫茶店。どれも懐かしい。
花王石鹸の創業者長瀬富郎は、街中での広告、特に鉄道沿線での広告に力を注ぎ「全国鉄道沿線に及ぼし内地における花王石鹸の広告看板を見ざるなきの有様」(「長瀬富郎伝」1914)だったそうです。おそらく御茶ノ水駅前の広告もその一つで、これらの「奇抜なる意匠」が花王石鹸の「印象を深らしめ」、「空前の売り行き」をもたらしたとされています。
1980年代後半、私は日本大学理工学部に在学していました。当時はまだ旧1号館が残っており、その頃のことを思い出すと、とても懐かしく感じます。
2:51 リバティタワーになってもう20年以上の時が経っていますが、明治大学記念館のカラー写真を見てハッと自分の中にある違和感に気付きました。リバティタワーよりこちらの景色の方がしっくりとまだ記憶に残っています。80年代半ばから赤瀬川原平さんや藤森照信さんらが提言した路上観察学会に夢中になってレトロ建築を探しまくっていました。今でこそそれなりに建築学で重要視されているジャンルではありますが、まだ当時は建築の歴史なんて誰も見向きもしない部分だったので、もう少し将来の職業を選べるほど若ければ、きちんと勉強してみたかったです。
出版社が作家に締め切りを間に合わせるため使った山の上ホテルw
御茶ノ水、駅からよくあの坂を下って古本街を散策していました。本を買った後はエチオピアで食べて帰りました。気のせいかもしれませんが駅周辺から古本街の入り口までは景色が良く、変わっていましたが古本街はなぜか変わっていないような気がします。もちろん現在は色々なレストランやお店がありますが本屋自体はそのままな感じがします。私の青春時代の一部は御茶ノ水と外神田と言っていいと思っています。
歩いても行ける秋葉原
御茶ノ水駅の改良工事も長年続いていますが、工事も酣(たけなわ)ですよね。。。お茶の水橋側の駅舎は既に改築から92年経っていたとは驚きです。今後はお茶の水橋側の駅舎の建て替えも行うのでしょうか?そして神田神保町。書泉グランデはよく行きました。最近行けてないですが、ぶらぶらしたくなる街です。
神保町界隈は良い雰囲気ですね。昔トニイレコードと言う名物レコード屋さんがありまして、78回転盤所謂SP盤も扱っていて、ジャズ小僧だった自分は良く通ったものです。ご主人がジャズの事なら何でも知っている方で、色々なジャズ知識を教わったものです。
もう50年ほど前に明大の刑事博物館にひょっこり入って話しに聞く鉄の乙女(アイアンメイデン)を見ました。まさかこんな場所でお目にかかるとは思いませんでした。他にも動画内にあった拷問器具など賑やかなお茶の水の街頭に出ても薄ら寒い思いがしたものです。
御茶ノ水…車窓から見える風景だけで大学病院の街なんて思ってましたが楽器の街の部分で45年前にレッドツェッペリンの鏡を買いに行く同級生にくっついて行ったのを思い出しました😊ありがとうございます😃
お茶の水は高校の頃楽器屋に通った記憶です。試し弾き目当てで。今は神保町の方まで込みで散歩コースです。この辺は綺麗に整備されてるので歩いてて心地いいんですよね。
山の上ホテルは子供時代に家族で何度か宿泊しました。東京に台風が来る時の避難場所でした。真っ白なベッドシーツが印象に残ってるだけですけどね。
石橋楽器店本店地下には通ってギター、バンジョーで遊んでました。日仏会館がお茶の水にあったとき、なぎら健壱さんのコンサートを聴きに行きました。向かいの三楽病院の灰色の塀がちょっと怪しくて怖かったです。たしか塞がれた門がトマソン物件でした。山の上ホテルは文藝春秋に「お部屋にはオゾンが流れてゐます」みたいな広告を出していて、とても上等感があり、あこがれでした(行ったことはありません)。その辺りの神田川にカワセミがいるのを電車から見たことがありますが、工事でどこかへ行ってしまったかな
1985年前後、日曜日の午前は神保町で古書店巡り、午後は秋葉原でジャンク漁りがお約束でした。今となってはどこをどう歩いたのやら?途中、主婦の友社?の立派なビルがあったのは微かに記憶が…
明治大学周辺懐かしいです。
自分にとっての聖地『御茶ノ水』❤どこもかしこもワクワクする景色ばかり😍💕 今年も5月、8月、9月と、聖地巡礼しました😅法律的にはアウトだけど、出来る筝なら自分が死んだら、散骨して欲しいくらい大好きな街🏢🏬🚶🚃因みに母校は、東京デザイナー学院(現・東京デザイナー・アカデミー)です😊
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏
明治大学の東隣に日大があり、そのまた東隣に中央大学があったと記憶してます。
社会主義学生同盟 社学同 懐かしいですね。
大学時代、御茶ノ水にご縁がありました。当時は「やらなければならないこと・必要なこと」をやったという記憶がなく、考えたいことを考え、読みたい本を読み、好きなだけ友人らと語り明かし、時には喧嘩をし、勝手に悩んで眠れない夜を過ごすという、今思えば夢のような生活でした。それはそれでけっこうしんどかったわけですが。卒業後もこの地を訪れることがありますが、やはり学生の頃を懐かしんでいるようなおじさん達が、デイパックを背負ってウロウロしているのをよく見かけます。きっと良い学生時代を過ごされた方々に違いない、などと思いながら。
素敵な動画をありがとうございました。感謝。
戦前の貴重なモダン建築である山の上ホテル、なんとか維持できますように。
お父様の足跡をこうして辿るのは素敵ですね。父が見てきた景色を見ることができたらと考えることは自分もあります。わが父は映像も写真も何も残さない人なので、どこへ行ったらいいのかすら分かりませんけどね。
昭和7年に建てられた新駅舎も、
今あっても違和感無いモダンな建物ですね。
いつも貴重な映像ありがとうございます。探索お疲れさまでした😊
このお茶の水駅付近は通ってた学校もあり、神田の本屋街では三省堂でよく本を買いましたね。その頃(1987年)とはエラい変わり様ですね😮 お茶の水駅の改良増築の完成が待ち遠しいです😃
亡くなられたお父様が撮り溜めた多くのビデオ映像は、本来、ご本人やご家族が見返すだけのものだったのかもしれませんが、息子さんがRUclipsの配信者となったことで、多くの視聴者の目に触れることとなりました。しかも、息子さんは息子さんでAI技術を採り入れた動画作りに邁進中。映像制作の趣味は、血筋なんですね。これからも新着動画を楽しみにしています。
素晴らしい血筋が世間の役に立っていますね😊
御茶ノ水
私にとっては駿台予備校の街でした。
ごはん屋さんも懐かしいです。カロリー。今でもあるようです。それから中華丼のおいしい店がありました(味一番)。それに穂高といったかな?喫茶店。
どれも懐かしい。
花王石鹸の創業者長瀬富郎は、街中での広告、特に鉄道沿線での広告に力を注ぎ「全国鉄
道沿線に及ぼし内地における花王石鹸の広告看板を見ざるなきの有様」(「長瀬富郎伝」
1914)だったそうです。おそらく御茶ノ水駅前の広告もその一つで、これらの「奇抜な
る意匠」が花王石鹸の「印象を深らしめ」、「空前の売り行き」をもたらしたとされて
います。
1980年代後半、私は日本大学理工学部に在学していました。当時はまだ旧1号館が残っており、その頃のことを思い出すと、とても懐かしく感じます。
2:51 リバティタワーになってもう20年以上の時が経っていますが、明治大学記念館のカラー写真を見てハッと自分の中にある違和感に気付きました。
リバティタワーよりこちらの景色の方がしっくりとまだ記憶に残っています。
80年代半ばから赤瀬川原平さんや藤森照信さんらが提言した路上観察学会に夢中になってレトロ建築を探しまくっていました。
今でこそそれなりに建築学で重要視されているジャンルではありますが、まだ当時は建築の歴史なんて誰も見向きもしない部分だったので、
もう少し将来の職業を選べるほど若ければ、きちんと勉強してみたかったです。
出版社が作家に締め切りを間に合わせるため使った山の上ホテルw
御茶ノ水、駅からよくあの坂を下って古本街を散策していました。本を買った後はエチオピアで食べて帰りました。気のせいかもしれませんが駅周辺から古本街の入り口までは景色が良く、変わっていましたが古本街はなぜか変わっていないような気がします。
もちろん現在は色々なレストランやお店がありますが本屋自体はそのままな感じがします。私の青春時代の一部は御茶ノ水と外神田と言っていいと思っています。
歩いても行ける秋葉原
御茶ノ水駅の改良工事も長年続いていますが、工事も酣(たけなわ)ですよね。。。
お茶の水橋側の駅舎は既に改築から92年経っていたとは驚きです。
今後はお茶の水橋側の駅舎の建て替えも行うのでしょうか?
そして神田神保町。書泉グランデはよく行きました。
最近行けてないですが、ぶらぶらしたくなる街です。
神保町界隈は良い雰囲気ですね。昔トニイレコードと言う名物レコード屋さんがありまして、78回転盤所謂SP盤も扱っていて、ジャズ小僧だった自分は良く通ったものです。ご主人がジャズの事なら何でも知っている方で、色々なジャズ知識を教わったものです。
もう50年ほど前に明大の刑事博物館にひょっこり入って話しに聞く鉄の乙女(アイアンメイデン)を見ました。まさかこんな場所でお目にかかるとは思いませんでした。他にも動画内にあった拷問器具など賑やかなお茶の水の街頭に出ても薄ら寒い思いがしたものです。
御茶ノ水…車窓から見える風景だけで大学病院の街なんて思ってましたが楽器の街の部分で45年前にレッドツェッペリンの鏡を買いに行く同級生にくっついて行ったのを思い出しました😊ありがとうございます😃
お茶の水は高校の頃楽器屋に通った記憶です。試し弾き目当てで。今は神保町の方まで込みで散歩コースです。この辺は綺麗に整備されてるので歩いてて心地いいんですよね。
山の上ホテルは子供時代に家族で何度か宿泊しました。東京に台風が来る時の避難場所でした。真っ白なベッドシーツが印象に残ってるだけですけどね。
石橋楽器店本店地下には通ってギター、バンジョーで遊んでました。
日仏会館がお茶の水にあったとき、なぎら健壱さんのコンサートを聴きに行きました。
向かいの三楽病院の灰色の塀がちょっと怪しくて怖かったです。たしか塞がれた門がトマソン物件でした。
山の上ホテルは文藝春秋に「お部屋にはオゾンが流れてゐます」みたいな広告を出していて、とても上等感があり、あこがれでした(行ったことはありません)。
その辺りの神田川にカワセミがいるのを電車から見たことがありますが、工事でどこかへ行ってしまったかな
1985年前後、日曜日の午前は神保町で古書店巡り、午後は秋葉原でジャンク漁りがお約束でした。今となってはどこをどう歩いたのやら?途中、主婦の友社?の立派なビルがあったのは微かに記憶が…
明治大学周辺懐かしいです。
自分にとっての聖地『御茶ノ水』❤
どこもかしこもワクワクする景色ばかり😍💕
今年も5月、8月、9月と、聖地巡礼しました😅
法律的にはアウトだけど、出来る筝なら自分が死んだら、散骨して欲しいくらい大好きな街🏢🏬🚶🚃
因みに母校は、東京デザイナー学院(現・東京デザイナー・アカデミー)です😊
Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏
明治大学の東隣に日大があり、そのまた東隣に中央大学があったと記憶してます。
社会主義学生同盟 社学同 懐かしいですね。